晴海22歳の闘病日記 ~死ぬまで生きた~ -3ページ目

ホスピス

今日、ホスピスに移りました。
内装がとても綺麗で
昨日までいた病室よりさらに広いのですが
快適というよりは一人ぼっち感が増します。

僕はまだ見ていないけど
ロビーのような場所があり、
本棚やソファがあって、
比較的元気な人が集まるようです。
晴れの日には外に出られるというテラスも
あるそうです。
一度見にいきたいものです。

僕が嬉しかったのは
誰かが亡くなったために空室ができたのではなく
僕(の両親)が希望していた広い部屋の
元の持ち主さんが別の部屋に移ったために
それで僕が入れたということです。

空室が出来るのを待つのは
誰かが亡くなるのを待つようで、
僕は、気が引けていたのです。
少しほっとしました。

予定表

12月12日
お友達(?)とチャットの約束。
離れていても話せて
携帯と違って電話代も気にならなくて
何を話そうか楽しみです。
いつか体調の良い日に、
僕のブログを見にきてくれるみなさんと
チャットをやってみたいですね。

12月24日
一番下の姉の結婚式。
式だけでも参列したいのですが。

12月31日、1月1日
大晦日とお正月。
できれば家に帰りたいです。

2月14日
バレンタインデー。
美人ナースからチョコを貰…ゴホン。
冗談です。

3月、4月
お花見です。
辞めちゃったけど、
職場のみんなとお花見に行きたい。
毎年行っていたので、
行けないとなると行きたくなります。

5月
五月は特に何も…こどもの日?
僕はもうこどもじゃないから
あまり関係がないかもしれないですね。

6月12日
僕の誕生日です。
この日まで生きられたらと思いますが
ギリギリ過ぎますね。

書いていてだんだんとしょんぼりしてきたので
続きはやめておこうと思います。
とりあえず、今日と明日のことを
考えるのが先ですね。
明日は何をしようかな。

感謝の気持ち

読者登録のコメントに
いつも元気付けてもらっています。
内容はさまざまですが共通しているのは
僕のことを思ってくれていること。
本当にありがとうございます。

もし、という話は
僕はあまり好きではないのですが
それでも今日は、もし、と思いました。

もし、ブログを書いていなかったなら。
告知を受けてからのこの十日間を
僕はこれほどまでに心穏やかに
過ごせていたでしょうか。

泣いたり悔やんだりしない自信はあります。
でも、たった一人でいる時間が
長ければ長いほど
不安は大きくなっていただろうと思います。

朝に昼に夜に、コメントや読者登録をいただき
いつも誰かが僕とともに居てくれている。
会ったこともない、名前も知らない人に
正直言ってこれだけ心が支えられるとは
思ってもみませんでした。
出会えて、よかった。

僕のブログがある日終わっても
どんな人も必ず誰かの支えになれることを
どんな人にも必ず誰かの支えがあることを
覚えていてほしいと思います。

僕の手

僕の左手です。
壁と手とパジャマのどれもが白くて
見づらいですね。
こうして改めて見ると
だいぶ腕が細くなったみたいです。

僕はこの手でいろんな人を助けました。
同時に僕のこの手の指の隙間から
こぼしてしまった命のことも
僕は忘れてはいけないのです。

僕の手は今、
誰かを助けることはできなくなったけど
こうしてキーボードをたたいて
たくさんの人と繋がっています。
その幸せを
僕はこの手に掴んだまま離さずに
いられたら良いなと思います。

日曜日ですね

昨日はすごい雨でしたね。
日本中が雨だったのかな。
風もかなり強かったように思います。
いえ、風はまだ時折強いみたいですね。

今日は、日曜日ということもあり
友達や親戚がたくさん会いに来てくれました。
昨日悪天候だったせいもあって
みんな予定を今日にずらしたのでしょう。
賑やかで嬉しかったです。
僕の病室は今、
みんなが持ってきてくれた花や、
綺麗に包装されたお菓子(?)で
とても華やかです。
みんなが帰った後でも、
カラフルな部屋は楽しくて気持ちが軽いです。
心なしか体もラクなような気がします。

でも、少し疲れました。
今日はこれからちょっと眠って、
疲れが残らず起きていられたら
コメント返しをしようと思います。

読者登録をしてくれた方々も、
ありがとうございます。
登録してくださったかたのブログは
必ず拝見しています。
色々と考えさせられたり
動物の写真に和ませていただいたり
旅や外国のお話に楽しませていただいたり。
本当にありがとうございます。

私のブログなんて、とおっしゃる方も
中にはいらっしゃいるのですけれども
あなたのブログはあなたにしか書けませんから。
恥ずかしいとか、そんなことはないと
僕は思いますよ。

消防士の僕

実のところ
僕たち消防士の平均寿命は
一般的な平均寿命よりも
かなり短いのです。
僕は、それは僕たちが僕たちの命を
少しだけ削って要救助者の人たちに
分けているのだと信じています。

僕が生きるはずだった何十年かを
他の、何人もの誰かが生きてくれるんだったら
僕はちょっと幸せかもしれません。
消防をやっていてよかった。
辞めてしまった今でもそう思います。

僕は出来た人間ではないから、
本当は、辞めるのがとても辛かった。
入院はしたけれど、
すぐに元気になって、すぐに復帰できると
信じて疑っていませんでした。
辛くて、悲しくて、最後には腹が立ちました。

でもたぶん、僕は分けられるだけの命をもう
全部分けてしまっているのでしょう、
そう思うと納得がいきました。
ぼくが分け与えた命が充分に長いものであるよう
願わずにいられません。

すみません

今日はどうも調子が悪くて。
昨日、体調があまりよくないのに
珍しい友達と会えて、
長々と話してしまったのが
まずかったみたいです。
わかっていたけど、
話をしたかったんです。

読者登録してくださったかた、
コメントくださったかた、
ありがとうございます。
コメント返しは
少しだけ待ってください。

ゴホゴホ

今日はどうも咳が出て、辛いです。
文字で書くと

ゲホッゴホゴホ、ガハッゴホッゲホン、ゲホッ
ふうーやれやれゲホゲホゲホッ、ゴホゴホ

という感じでいかにも病人らしいです。
ちゃんと伝わるかな?

今、少しおさまって起きてみたのですが
やっぱり咳と咳の間隔が
少しましになっただけのことで、
相変わらずです。
今日はおとなしく寝ていないと。


それと読者になってくれたみなさん
ありがとうございます。
ちょっとずつブログを読ませていただきに
伺ってはいるのですけど
なかなか全部読めなくてすみません。
コメントくらいは残しに行きたいんですが。
なかなか長い時間起きていられません。

姪っ子

上の姉には女の子がいて
もうじき二歳になります。
この前、姉夫婦が姪っ子を連れて
お見舞いに来てくれました。
小さい子を病院に連れてくるのは
あまりよくないことなので
もしかするともう会う機会は
ないかもしれないですね。

二歳のこどもには
何もかもが珍しい世界のようで
ずっと病室ではしゃいでいました。
ベッドの柵をよじのぼろうとしたり
カーテンに隠れたり
持ってきた人形で、
僕にも遊べと言ってきたり、
挙げるときりがありません。

二歳のパワーはとてもすごくて
僕は元気を少し分けてもらったみたいな
気分になりました。

得意げに紙パックのジュースを
飲んでいた姪っ子は
ふとストローから口を離して
僕のほうに差し出しました。

正直言って僕はもうずっと食欲がなくて
物を食べるのが億劫でたまらないので
一口だけお付き合いで飲みました。
姪っ子の手の温度と時間の経過で
もうとっくにぬるくなっていたのですけど
冷たくて甘くて、喉が気持ちよかったです。

最後にみんなで写真を撮りました。
姪っ子は僕のこともその日のことも
全部忘れてしまうのだろうけれども、
僕は忘れないつもりです。

今日だけ

カタギリ先輩のブログへ
リンクを貼ろうと思います。
見つかったら怒られちゃいそうなので
今日が終わったらはがします。