なぜ延命を望まないのか | 晴海22歳の闘病日記 ~死ぬまで生きた~

なぜ延命を望まないのか

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「なぜ延命を選ばないのか」

末期癌、余命は三ヶ月から半年あるかないか、
という告知を受けた日。
怖さと不安と
あとはもうなにかよくわからない気持ちが
僕の頭の中を埋め尽くしていました。

生きたいと思いました。
死ぬのは怖いと思いました。
ではなぜ死ぬのが怖いのか。
僕は考え続けました。

消防の仕事が二度とできない辛さ。
それもあります。
でも何より、
大切な人たちと別れなければならないことが
僕には最も辛いように思えました。

それならば、
生きている間にできるだけ多くの人たちと
会って、そして、お別れの言葉を交わしたい。
延命治療で苦しみながらではなく
笑って、楽しく、接していたい。
それが僕の一番の望みです。

もちろんこれは「僕の」望みです。
家族や友人の中には
もっと僕に生きていてほしいと思う人も
いるでしょう。
ですが、僕が、彼らの意を汲み
自身の思いを曲げて延命に臨んだとして
苦しむ僕の姿に喜ぶでしょうか。
恐らく延命を勧めた彼ら自身も
ずっと苦しい心を抱え続けなければなりません。
本当にこれで良かったのか、と。

短い余生を選んだのは、僕自身です。
たとえそれが三ヶ月に満たず
一月二月であったとしても
僕がそれを望み、僕がそれを選んだのだから
誰も悔いることはなく、
僕は安心して旅立つことができるのです。

どんな治療法や薬を教えていただいても
僕は頑なに断ります。
あのとき無理にでも勧めていたら、と
思うかもしれませんが
断ったのは僕であって、悪いのは僕です。
誰も責任を感じる必要はありません。

僕は、僕自身がほんの少し長く生きられるかもしれないことより
僕の周りの人が、
僕のために重荷を背負わないことの方が
重要であると考えています。

そのためにも
最後までずっと笑っていたいのです。
晴海は満足して人生を全うしたのだと
誰もが認めてくれるように。

咳が止まらなくて苦しい日もあれば
痛みの激しい日も
血を吐く日だってあります。
運の悪い日にはミックス攻撃を食らいます。
それでも僕はできる限り笑って過ごしたい。
不気味かもしれないけど。